愚痴・見ていられなくなってきた
2年程前に、薬物で捕まった歌手がいました。
私はその歌手のことがなかなかに好きで、青春を共にしてきた、といっても過言ではないと思います。
いつか、本人に、自分自身の存在を知ってもらいたいと思うくらい、好きでした。
その人が薬物で捕まったその瞬間は、そういうこともあるかな、くらいの軽い受け止め方で、音楽活動をすることと、薬物との関係をあまり気にせずに、いい音楽を生み出してくれるならかまわないや、とも思っていました。
でも、やっぱり、しばらくその人の曲は聞けなくなったし(未だにちゃんとは聞けない)、意識的に心の置き場所を敢えてなくしていったようにも思います。別の人やもので埋めていました。
その人が、最近になってブログを始めました。1ヶ月限定だそうです。
今年の最初にもブログを立ち上げていましたが、消したのか消されたのか…。
更新の頻度は非常に高いです。1日に数回。
その人のブログを熱心に読むことができていません。
どこか心の距離を置いて、「へー、ふーん」程度にしか読んでいません。
その人が、社会の中に居場所を作るために、今までやらなかったことをせっせとやっているように見えます。
ファンの方は喜んでそれに目を通して、せっせとコメントを書いています。
その人とこんな風に直接繋がれるなんて、今までなかったことですから。
してしまったことを執拗に責めても、何も変わらないのはわかります。
前を向いて歩いて行かねばならぬことも、頭ではわかります。
でも。「待ってました」と受け入れることはできないのです。
胸を躍らせ、コメントを残すことなんてするつもりもありませんし、
ましてや、その人がライブをすることになったとしても、行く気になれるか…。
その人は既に法で裁かれたのかもしれません。
でもそれまで思い続けてきた私自身も、その人を裁きたいと思っているんだろうなと感じます。
どれだけ、私自身が悲しんで、苦しんできたかを、その人が身をもって知ったとは思えないから、かもしれません。少なくとも、1ヶ月限定で書かれたブログからは、そういったことは感じられないのです。
そのような状態で、何が何でも許してあげたい、復帰してもらいたい、なんてみじんも思えないのです。
「周りが何を言っても信じる、というものがあってもいいじゃないか」と思っていたけれど。私にとってのそれはその人ではなくなったんだなと思いますし、また、まだ信じられている人に冷めた感情を抱くにつけ、だんだんとそのブログを見ていられなくなってきたのでした。(未練がましく、たまに見ますけど。)
好きと嫌いと
自分が好きなものを好き、と言う勇気。
嫌いなものを嫌い、と言う勇気。
…を持たぬままに、年だけ重ねて生きてきたのだな、と感じることがあります。
特に、対人関係においては、その人のことを好きかどうか(恋愛感情あってもなくても)ということを、何で判断しているのかなとか。嫌いと判断するのはどういうときなのかなとか。
「好きは好きだし、嫌いは嫌いだよ」とも思いますが、自分の中で一度「嫌い」カテゴリに入れてしまったら、もうなかなか見直すことはないのではないかという恐怖から、それを定義することができずにいました。
同様に、「好き」カテゴリに入れてしまったら、どんなことでも許してしまうんじゃないかという恐怖もありました。(許さなくちゃいけないのではないか、という思い込み、に近いです。)
最近感じたのは、その人と会ったときに嬉しく思ったら、その人のことは相当好きなんだなとか。舞い上がっちゃうくらいだと、大好きなんだな(たいてい、私の方が一方的に好きなことが多くて、後悔もする)とか。
その人との約束をなるべく先延ばしにしようとするのは、あまり好きじゃない(ここでも嫌いとはいえないような)、顔も見たくなかったら嫌い、でもいいかな…とか。
自分が好きなものを嫌いだと言われる恐怖から、好き嫌いをはっきり言えない人間として生きてきたんだなと実感します。
嬉しい気持ちや、いやだと思うもやもやした気持ちに正直になろう、と思った夏です。
▼ちょっと続けてみることにしました
思い返すと、アニメが多い。そんなにたくさん見ているわけではないけど、アニメや漫画は好きらしい。
鬱々とした気持ちを晴れやかにするときは、「坂道のアポロン」のサントラ。薫と千太郎の文化祭デュオ。これ、最高や…!
こういう「呼吸を合わせる」って、本当に素敵だと感じました。
ジャズはやったことがないけれど、こんな風に即興をつなげていくもの…です…よね?一緒にやる相手が重要か。
聞いた回数で言うと、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」のサントラがダントツかと思います。
「破」は、全体的に明るくて「やるぜやるぜ、やったるぜー!」みたいな気持ちになるのに対して、「Q」は「なんで僕はここにいるんだろう」みたいな鬱々とした気持ちになる、この高低差。
この2つのサントラをエンドレスでかけて、数日間の徹夜仕事を乗り切ったことがありましたが、気持ちのノリが全然違いました。(夜中2時くらいは「Q」が合うけれど、空が明るくなってくると「破」、もしくは「Q」の最初の方の曲が合う)
ストーリーとしては、これまでを踏襲しつつ新展開の「破」はわかりやすくて好きでしたが、まったくわからなくなってた「Q」の展開も個人的に好きでした。よ。賛否両論ありましたけど。
…「シン・エヴァンゲリオン」、いつ公開なんでしょか。
ブログを始めてみることにしました
今更な感じもしますが、ブログを始めることにしました。
毎日のことを記録するならFacebookだっていいじゃない、と思われがちですが、
見事にSNS疲れとなりました。
なので、愚痴を書いたり、その日に目にとまったこと、気になったことなどを
だらだらと書いていくのに、使おうと思いました。
あまり社会的に意義のあることなどを書けるとは思いませんけれども、
ゆるゆると書いていければと思っています。
とはいえ、改めて書こうとすると難しいもので。
↑こういうのに頼ろうと思います。
幼稚園あたりから、10年以上、エレクトーンを習っておりました。
今でも楽器を買う余裕があれば、また始めたい楽器No1です。
高校あたりから、ウッドベースを始めました。部活で始めた楽器ですが、同じ学年にウッドベースを希望する人がおらず、じゃあやるか、くらいな気持ちで始めましたが、今や、人と一緒にやるなら、やりたい楽器となりました。
社会人になってからは、和太鼓を始めました。自前の太鼓も持っております。
昔からリズム感のなさに定評のある私ですが、なんだか楽しそうだったので初めてみました。
リズム感のない人が人並みになるのはとてもとても大変なのですが、それでも人と一緒にできるのは楽しいです。今でも続けています。(なんだかんだで10年以上やっています。)
もし、高校の時にウッドベースではなくて、パーカッションのある部活を選んでいたら。
もっと、今やっている太鼓が自在にたたけて、楽しかっただろうか。とか。
もし、社会人になって、はりきってエレクトーンを買ったりレンタルしたりしていたら。
人と演奏する楽しみはあまりわからずにいたかもしれないな、とか。
いつも、楽しむことの裏側に、後悔みたいなものをまとって、悩みながら生きている私です。
これから、どうぞよろしくお願いします。