2鞍目:台風が来るはずだった

今回から通常のレッスン。

レッスンは4〜8名で行われるらしいのだけれど、この日台風が来る予報だったせいもあってか、マンツーマンになっていました。(ラッキー)

 

この日は、馬上でのバランスの確認、馬上体操、速歩、誘導。

どうやら鎧がちょっと短めの方が立ちやすいのかも、と先生からのアドバイス。途中で1目盛り分短くしてくれたら、前より立ち上がりやすくなったような。

ただ踏ん張りがきいてしまうぶん、足の位置が動いてしまう模様。

足の位置、というか、足の裏全体で踏ん張っていない感覚。

元々O脚気味に立つ癖があるので、足の裏の外側(小指側)で踏ん張ってしまうようなんですな。足全体で馬にぴとっとはさみこまないといけません。

まだドキドキして、そんなに馬にぴとっとしちゃいけないんじゃないかと思っているのかもしれない。

 

速歩はなんとも奥が深い。

 

1鞍目:「ファーストレッスン」

ファーストレッスンの日は、乗馬用具を買ったり、チケットの説明を受けたり

とても慌ただしく過ぎて行きました。

 

最初のレッスンはマンツーマン。

馬に近づくときは何に気をつけたらいいか、

馬上体操(本来だったら、陸上でするべきストレッチ的なもの。肩を伸ばしたり、足首を回したり)、並歩・軽速歩の練習。

 

練習1コマは45分ですが、1頭の馬のクセに慣れたなぁと思ったころにレッスンが終わってしまいます。

軽速歩のときには、鎧で立ったり座ったりをしなければならないと教わります。馬のリズムに合わせて立ったり座ったり。

 

この日は、とにかく馬がかわいらしくてかわいらしくてたまらない、という感想のみ。

 

 

乗馬を始めてしまいました。

土日にも仕事が入るようになって、

いよいよ趣味としていることに時間が使えなくなって、

気持ちがもやもやする日が続くようになりました。

 

ある日、街を歩いていたら、馬がいました。

乗馬クラブの営業でした。

 

相当疲れていたのか、馬を触らせてもらい、とても癒され、

乗馬クラブのお試しに申し込んでおり。

 

お試しに行けば、そりゃあ楽しくて。

お金がかかるのはわかっていたけれど、乗馬クラブに申し込んでしまいました。

 

1年前のブログを読んだら「乗馬をしてみたい」って書いてあって、

その頃からそんな風に思っていたんだなぁと感慨深く?思います。

 

少しでも上達するように。その記録を残しておこうと思います。

 

 

 

 

馬が好き

毎日、馬を見る日々です。

 

live2.nicovideo.jp

 

↑これ、毎日見てます。2月?からほぼ毎日。

【リアルダービースタリオン

site.nicovideo.jp

 

それまで、仕事で馬に携わることがあっても「へー」くらいの感覚でしたが、この企画が始まって、改めて「競馬場に行ってみたい!」と思ってしまうくらい。

 

先日、東京に出張があって、夕方からぽっかり時間が空いたので、少し足を伸ばして、川崎競馬場まで行ってみました。

夕方、まだ太陽の高い時間から、ビールを飲んで、初めて馬券を買って、やった!だの、だめだぁ…だの、一人でぶつぶつと。女性一人で行くのは若干の抵抗感はありましたが、結局一番違和感があったのは、行きのシャトルバスだけ。(ここは異様な空気感だった)

あとは、他に誰が来てようが、何を見ていようが関心のない、素敵な(?)世界。ぼっち歓迎、でしょうね。競馬場って。

 

競馬のことなんてまっっっっったく知らなかったけれど、途端に興味が出てきました。勉強する時間はないけど。仕方もわかんないですけどね。

あと、乗馬も始めたい。

趣味でやってる太鼓は、すべて馬皮でしたし。

 

最近猛烈に馬愛が高まっています。

 

 

 

 

モンスタークライアントっているんだな

世の中には「モンスタークライアント」と呼ばれる、クライアントがいるらしい。

それは、様々な要因によって、モンスターに育ってしまう場合もあれば、隠れモンスターが現れてしまったという場合もある。

今までそういう方とお目にかかったことはあまりないのですが、今年は少なくとも2組のクライアントによって、「これが、モンスタークライアントというやつか…」と今までの運の良さを痛感したのでございました。

 

どちらにも共通しているのは、一貫した、その組織としての意思決定がないこと。担当者の「感覚(好き・嫌い)」で進められていて、その担当者の感覚すらも一貫性がない。よって、打ち合わせが終わり「これで進めますよ」「OK」となった後、しばらく経ってから「やっぱりさー」と蒸し返される。あるいは、組織内の「誰か」に確認してもらうために、突然「急げ」と言われる。納期についても納得してもらっていたはずなのに…。。。

 

あと、自分の家族・子どもにとてつもなく甘い。
先日、とある俳優さんの事件が起きましたね。親子で有名になろうとしていたお二人だったかと。お母様の会見をちらりと見ましたが、やはり、親は親なのだなぁと感じる一方で、自立した関係ではないということなんだなとも感じました。片方がしっかりと自立(あるいは自律)していればそうはならないものを、互いにどこか依存し、なあなあになると、「家族が言うことはぜったーい!」「家族は絶対に裏切らなーい」(←それは根っことして持っていてもいいけれど、ビジネスに出されると、周りは困ると思う)となるために、外部の人間の意見はなんなのというくらいに軽く扱われる。
私はそういうタイプのクライアントに好かれるらしく、「好きだ」とか「一緒に仕事をしたい」とか「信頼してる」とか言われますが、その言葉の裏には「だから安くして」「こっちに甘くして」という意識があるわけですよ。そういえば私が喜ぶと思ってるんですかね。本当に信頼されてたら、「家族がそう言ってたから」「子どもが作ったものは素敵でしょ」とはならないわけで。

 

よって、度重なる修正やら、にもかかわらず金額をまけろと言ってくるやら、後から「これも追加して」と言ってきて「じゃあ追加料金ね」というとごねられるやら…。

 

これも、クライアントとの関係構築が未熟なのでしょうけど、相手が私自身をなめている間は、私ががんばろうとしたって意味がないんじゃないかとあきらめたくもなりますわ。

そんなことが続くもんで、心はささくれだって、どうにも腐れている日々なのです。ったくよー。

つれづれなるままに:シン・ゴジラを見に行った

公開されて1ヶ月以上経って、ようやくブームが私のところまでやってきました。

エヴァンゲリオンは友達から借りて全部見たし、新劇場版も3作見ております。(そしてよくわからないQを何回も見てる)かといって、庵野作品が何でも好きかというとそういうわけではなく。。。ナディアはついていけなくなっちゃうし、その他も追いかけようというほどでもなく…という感じ。

 

本日の時点で2回ほど見に行きまして。

1回目は一人でふらっと映画館に行き、めいっぱい楽しんできたのですが、最後のシーンで「え?これ…」となり。2回目を見に行きたくなってしまったのでした。
(1回目の映画館は、座席のにおいが苦手&前の方に座りすぎて、具合悪くなってしまったのもあります。そして、圧倒的な話の展開についていけなくなっちゃってたかもしれません)

2回目は4DXとやらに、友達を誘って。4DXって初めて行きましたが、水は降ってくるわ、ゆれるわ、煙は出るわ…なんですね。(水はON-OFFできるけど)
ゴジラは海から現れるわけでして、そのときとか水がかかっちゃうわけです。でも、映画の中でもそれは「水」だからまだ平気。ただ、ゴジラの血?が降ってきたところも水がかかっちゃうんですな。映画の中では「血」のものが体にかかるもんだから、つい「うわっぎゃー」とか声を上げてしまいました。(発声可能じゃなかったから、本当に迷惑だったと思います。)

そんなこんなでしたが、2回目は冷静に(?)楽しめていました。

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蝶々の纏足

 という本があります。

蝶々の纏足・風葬の教室 (新潮文庫)

蝶々の纏足・風葬の教室 (新潮文庫)

 

 

高校2年の読書感想文でこの作品を選んだので、夏になると思い出します。

あらすじについて明確に覚えているわけではありませんが、

主人公と、そのお友達…と思っていた人の話。

 

自分を引き立たせるために、誰かをそばに置く。

そういう感覚は全く理解出来ませんが、

そうされているのではないか、と思うことは、未だにあります。

 

その人の都合のいいように使われていると感じると、その人に対して友情は感じません。相手は感じているかもしれませんけど。

 

相談したいことがある、と言われて、すごく急ぎだと言われて

なんとか都合をつけて会ってみたら、恋愛の愚痴だったり(相談でもなかったり)。

サークルの中での権力を誇示してみたり。

自分がしんどいときにそうされたとき、「すごいね」「大変だね」と相手の思うリアクションができることが友情なんだろうか。

「それは嫌だ」とその瞬間にいえたらどんなにいいかと思うけれど、それができていれば自分ではないわけで。

 

この主人公は友達だった人との決別を選ぶけれど、本当にそれが主人公にとっていいことだったか、すがすがしい結果であったかどうかは疑問です。私が彼女なら、悶々と引きずることだろうと思うのです。

 

夏になると、この小説を思い出します。

と同時に、自分にとっての友情のあり方を、もやもやと考えてしまうのです。